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有限会社吉田牧場(よしだぼくじょう)は、北海道勇払郡安平町にある競走馬生産牧場。1950年代から1980年代にかけて特に隆盛し、JRA顕彰馬のテンポイントなど数々の八大競走・GI級競走の優勝馬を生産している。牧場および経営者一族名義で馬主も兼ねるオーナーブリーダーである。 == 歴史 == === 創業~1930年代 === 1897年、吉田権太郎が勇払郡安平村(当時)に創業〔『優駿』1977年7月号 p.40〕。軽種馬生産者として日本で最も歴史ある牧場の一つに数えられる〔。創業からしばらくは道楽に近い形で軍馬の生産を行っていたが、札幌競馬倶楽部の調教師・稗田虎伊の知遇を得て、1920年代からサラブレッド生産にも着手したとされる〔。 「理想的地域を占め、地積四百余町歩、その施設と管理方法は実に模範的で、私設競馬場まであり、官庁の経営といえども或は及ばぬであろう(中略)馬産地胆振に同牧場のあるは意を強くするに足ると思う」(北海タイムス、1924年11月15日付〔吉川(1999)p.18で引用のものを孫引き。〕)と言われた大牧場であった。なお、権太郎が稗田と知り合った経緯について、「セリ市で出会った」としている資料〔吉川(1999)p.19〕もあるが、日本中央競馬会の広報誌『優駿』1977年7月号に以下のような話が掲載されている(要約)。 ただし、上記と齟齬する話として、安平村から改組された早来町が発行した『顕彰誌』に、権太郎は「牧場の開設以来馬匹の蕃殖育成を終生の事業とし、主としてサラブレツト種を飼育し」とあり、また1908年に農商務省および畜産組合より濠州産牝馬〔明治・大正年間にオーストラリアから多くの牝馬が輸入された。血統不詳のものが多かったが、ほとんどはサラブレッドであったと考えられている。豪サラも参照のこと。〕の払い下げを受け、大正初期には「内国産洋種」の種牡馬2頭を繋養し、共進会でも内国産洋種馬の「大正」が壱等賞金牌を受けたとある〔『顕彰誌』pp.37-38〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉田牧場 (北海道)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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